わざわざ、義父、義母って書いてる。 つい最近も、嫁じゃなくて「義理の娘」って書いてる人を見たわ。 もしかして、しゅうと、しゅうとめ、嫁、婿とか迂闊に使ったら怒られるとかあるのかな。ポリコレ的に。

わざわざ、義父、義母って書いてる。 つい最近も、嫁じゃなくて「義理の娘」って書いてる人を見たわ。 もしかして、しゅうと、しゅうとめ、嫁、婿とか迂闊に使ったら怒られるとかあるのかな。ポリコレ的に。
特徴としては以下のような文言が好き 誰も不快にならないコンテンツなんてない実力で判断すべきだ需要に従っているだけだ欲しいなら自分で作れこれらの意見は「格差是正」の概念がわかっていない事から起こる感情論だ 例えばハリウッド映画で白人の採用が多い環境が何十年と続いているのに 実力のある黒人の数が「すぐに」同等になるわけではないし 実力のある黒人が少ないのに「すぐに」白人と同規模の需要が現れるわけはない 今、わざわざ同等にしようとしているのは「暫定的」に実力のある黒人を増やすためだ 白人中心だった環境を、黒人も同等に扱う環境に変えるためだ 黒人の実力者が増え、環境も整ったとき、はじめて「暫定的」な手法が取り払われ 誰も不快にならないコンテンツなんてない実力で判断すべきだ需要に従っているだけだ欲しいなら自分で作れが実現するのだ これはクオーター制も同じで 男性の実力者しかいない男性中心の環境や制度
はてなブックマークで上がって来ていたこのような記事を読んだ。 いわゆる「ポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)」がどのような経緯を経ていま、批判や嫌味や罵倒のための言葉として使われているのかという解説である。 ほぼ一年半ほど前の記事のようだが、漠然と認識していた「ポリティカル・コレクトネスという言葉」のヒストリーを通史的につまびらかにしていて、勉強になった。 きわめて粗雑に使われがちな言葉をその変化のプロセスを踏まえた上でていねいに再定義する非常に有効な力作記事だと思う。 「ポリコレ」が実体を欠いた空虚な概念にしか過ぎないというのはまったく賛成で、「ポリコレ」を巡る議論は、賛成の側に立つにせよ反対の側に与するにせよすべてむなしい。言葉の明確な定義が存在しないからだ。 そのことを理路整然とあきらかにしただけでも、とても意味がある内容なのである。 しかし、一方で気になる点もなくはない。個人的に
自称差別を許さない人達が「いや…過度なポリコレ辞めませんか」って言い出すのおかしくないか? まさかそんな事想定してなくて男性差別がしたかっただけなの?
斎藤幸平がマルジェラ着ていて炎上していたけど、じゃあ「なにを着ていたら炎上していなかったか?」って考えるとぶっちゃけ無理ゲーだよな ユニクロだったら完全にアウトだし ほかのファストファッションも同様 シーインなんて着ていたらマルジェラの比じゃないだろう 大量消費を肯定していると見られてしまう じゃあオーダーメイドのスーツが妥当かというと 一着50万からが最低ラインの世界なのでそれはそれでスノッブと叩かれる そもそもスーツを着ること自体がヨーロッパの階級制度を肯定していると言われても言い訳できない じゃあ古着はどうか? 古着はアメカジなのでアメリカ中心主義を肯定していると言われてしまう そう考えたら、そのなかではほかのハイブランドに比べたらマルジェラって選択は、ハイブランドのなかでは妥当だと思う マルジェラは資本主義のブランド信仰を否定してタグに名前を入れてないからね ただ、多くの人は教養が
日本が舞台のゲーム「アサシンクリードシャドウズ」が、大炎上していますね。先に結論を言うと、これはアジア人差別的なビデオゲームです。私はこのゲームのファンなので、とても残念な気持ちです。この問題は、シリーズを知らない人にはわかりにくいので、順に説明していきますね。 この問題を理解する鍵は、欧米におけるアジア人男性に対するステレオタイプ、「白人の救世主」という概念、Ubisoftの制作陣が言った「私たちの侍(our samurai)」という言葉です。 なお、ここで「アジア人」と書いてある場合、それは東アジア人のことを言います。 アサシンクリード(Assassin's Creed)とは? アサシンクリードは、歴史の裏で暗躍する暗殺者になって、歴史上の人物から無名のモブキャラまで、人を殺しまくるゲームです。残酷なシーンや大人のロマンスシーンがあるので、年齢制限が設けられています。 これまで、ルネッ
ポリコレで言えば最強は幼児だ、幼児の発言に怒る大人なんてみっともない だから「おじいちゃん(おばあちゃん)、くちゃい!」とか「お父さん(お母さん)、くちゃい!」とか「おうちが貧乏でちゅらい!」とかは全て幼児の口から代弁させる時代が来るだろう 世はちびっ子をパペットにする暗黒時代に突入するのだ
まさか日本で女子アナ(若い女性)が「男性は臭い」と言ったらキャンセルされる時代が来るとは思わなかった。 ワイはちゃんとアップデートされたオッサンとして仕事中に女性に関するジョークやたとえ統計など根拠があっても属性としての女性を批判する発言は絶対にしないように気を付けとるんやけど…… ビジネスランチや飲みで「ワイも含めて男ってのはバカな生き物やからなガハハハッ」みたいな冗談はよくやってまうんや。 男連中はアルアルと苦笑いして、女の子にも結構受けるし、男当事者のワイが男を下げて言う分には別にええやろ、ぐらいの感覚なんやけど、 こういうのも部下の男や取引先の若い男から「増田さんに『男性差別』をされて傷ついた……」と通報されてワイがキャンセルされるリスクもあるんやろうか? 最新版にアップデートし続けるのも大変やね。
2024年パリオリンピックの開会式がポリコレの詰め合わせで 左翼からは「2021年東京オリンピックの開会式が如何に酷かったかが解る」「最高の開会式だ」と大絶賛され 右翼からは「2021年東京オリンピックの開会式の方がマシ」と言われる結果になりました。
コロンブスの件でよく分からない所 anond:20240613173119 この増田を書いた者だが、はてなの人達は早とちりが得意なようだ。 この増田で書いてある事、そして書いて無い事をちゃんと読んだかな? 例を挙げてみてみよう。 先住民を殺し姦し盗み奴隷に堕とした人物を無邪気に称揚することへの批判を、最新の西欧的価値観への盲従であるとは俺は思わない。 私も思わないよ、 西洋から先住民への征服への象徴としてコロンブスという題材やその扱い方が悪いというのは分かる。 と書いてあるし、そもそも「コロンブスのした事は悪くない」とか「批判するべきでない」なんて書いてある?書いて無いよね?何で書いて無い事を読み取ったの? 増田の言ってることがよくわからない。コロンブスが先住民を虐殺したのってどの文化圏から見ても悪じゃないの?西洋の価値観に限らない。 そうだね、恐らくどの文化圏でも悪だろうね、これも「コロ
MV自体は見る前に削除されたので、「その解釈はおかしい」みたいな事は思わないんだけども、 西洋から先住民への征服への象徴としてコロンブスという題材やその扱い方が悪いというのは分かる。 それらが西欧中心主義への批判である事も。 ただ、それを言っている人達が前提としているポリコレ的価値観(=西洋・欧米的価値観)が他の価値観に自明に優越していて、 西洋人でもない日本人がそれをありがたがっている、という構図そのものもまた・・・・西欧中心主義になっていないか? ・・・みたいな疑問は沸かないのか? ちょっと考えれば自然に湧いて出る程度の発想だと思うんだが、 どうもブコメなどの批判を見ていると「炎上するのは西欧的価値観によるアップデートをできていないから」であり、「未開な非西洋人を教育してやろう」という、第2第3のコロンブスみたいな人達が、 自分ではコロンブスに批判的に成れているつもりでコメントしている
金カムの映画化で「主人公はアイヌが演じるべき」って自称映画好きの人たち(笑)が言ってる。 原作の段階からアイヌの人や研究者の声を聴きながら作られてるんですわ。 映画も独自のアイヌ監修シーン入ってるんですわ。 すべての人が納得するのは難しいけれど、頑張って作ってくれていると思う。 ポリコレ棒で叩こうとしてる映画好きの人たち、 「蒙昧を啓蒙してやろう」って魂胆が見え見えなんですよ。 上映されるまでほとんど作品のことを知らなかったでしょう。 ハリウッドの複数の作品で、実際の聴覚障碍者が聴覚障碍者の役を演じている。 そのおかげで聴覚障碍者の演出が向上しているし、社会の理解が進んでいる。 それはいいことだと思っています。 日本には29万人の聴覚障碍者がいるらしい。 それに比べてアイヌは1万人もいない。 年齢もだいぶ上に固まってる。 聴覚障碍者のフレームを雑にアイヌに流用するのは、聴覚障碍者にもアイヌ
ポリコレで色んな属性の人含めて守られるんならいいんだけど、現状一部の『公認マイノリティ』しか守られてないよね。それ以外だと平気で罵倒や嘲笑の対象になったり、「お前の自己責任じゃん」って冷笑される。中には他人を攻撃してマウント取るために『人権派』を名乗ってる奴もいて、そういう奴はポリでコレを尊重してる、って言いながらしれっと差別用語を使ってたりする。ちょっと前まで左派自認してた人らも「池沼」「ホモ」って罵倒に使ってた。今では口が裂けても言えなくなったから「境界知能」「チー牛」に置き換わったが。BLMで黒人差別反対の機運が盛り上がっても、その黒人がアジア人に暴力振るったり、差別してる事については殆ど声が上がらなかった。みたいな。 少し前までガチガチのリベラルだったけど、今はこういうリベラルを自認してた人らの欺瞞と先鋭化に辟易して、距離を置くようになった。でも、ネトウヨにはなりたくないんだよね。
ポリコレ疲れとか言っとるけど、正直ポリコレ配慮した広告のほうが結果として反応も良いのよね。 ポリコレ派からのここはこうすべきでは?とか、ここは良くないでしょ、みたいなご意見はむしろありがたい。自分たちに欠けてた視点をもらえるし、そもそも声をあげれるマイノリティのほうが少ないのは分かってるので掬い上げていきたいって思ってる。 なんか、しっかり練ってつくればつくるほどポリコレ賛成の人にはちゃんと意図が伝わるんだけど、反ポリコレ派には配慮してることが伝わらず、なぜか持ち上げてくれることがある。 反ポリコレ派ってわかりやすく目立つ位置に黒人がいる!同性カップルぽいのがいる!ってなると途端に騒いで異端な存在が画面内にいるからポリコレ!って感じなので騒げば騒ぐほどやっぱ広告にはポリコレは大事なんだなあと部署内で苦笑いしながら再認識するきっかけになってる。 階段しかない建物を何も考えず指定して利用して、
バービー人形をもとにした実写映画『バービー(Barbie)』のアメリカ版公式SNSアカウントが、原子爆弾(原爆)に好意的と受け止められかねない投稿を行い、日本国内から非難の声が相次いでいる。 国内の反応を受けて、すぐさま日本法人が謝罪。この対応は比較的まっとうなものだったものの、その後、アメリカ本社の謝罪は優れているとは言えないものだった。結果、不買運動ならぬ「不観賞運動」は止まらない。 ネットメディア編集者として、10年以上にわたって、SNSでの「炎上」や「延焼」を見てきた経験からすると、今回の事案は「欧米人の原爆軽視」に加えて、「日本の炎上メカニズム」を本社が理解していなかったことが原因だとみている。 そこで本稿では、今回の騒動を時系列に沿って説明しつつ、解説していきたい。 問題となった投稿は削除されたが… まずは、今回の騒動について、振り返ってみよう。 『バービー』はアメリカ国内で、
アメリカでは映画『バービー』と『オッペンハイマー』が同日公開(2023年7月21日)となったことで、2作を一緒に楽しむ『バーベンハイマー(Barbenheimer)』が現地で大きなトレンドとなっているようだ。一方はマーゴット・ロビーが演じるバービー人形を楽しく描くポップでカラフルなコメディ、もう一方はクリストファー・ノーラン監督が“原爆の父”を描くダークな重厚作。真逆の属性を持つ2作をハシゴして楽しもうという、珍しい映画体験を共有するための自然発生的なブームだ。 『バービー』ワーナー・ブラザースと『オッペンハイマー』ユニバーサル・ピクチャーズにとって、このブームはありがたい追い風となった。初週末の興収ランキングではトップワンツーを飾り、とりわけ『バービー』は1億6,200万ドルの記録的超ヒット。どれくらいすごいかというと、『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE』初
かろ @aqbl_000 バービーの映画は公式がもう完全に原爆やキノコ雲のミーム化に乗っかってるから駄目だ。ファンが盛り上がってるだけで公式にはその意図がなかったなんて言葉じゃ救いようがない。終わってる。#NoBarbenheimer pic.twitter.com/ONg4YJeigO 2023-07-31 01:21:07 ①映画「バービー」と「オッペンハイマー」が同時期にアメリカで公開 https://wwws.warnerbros.co.jp/barbie/ https://ja.wikipedia.org/wiki/オッペンハイマー_(%E6%98%A0%E7%94%BB) 『オッペンハイマー』(Oppenheimer)は、2023年に公開されたアメリカ合衆国の伝記スリラー映画。クリストファー・ノーランが監督し、主演はキリアン・マーフィー。本作はカイ・バード(英語版)、マーティン
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